「た・し・な・み」って?

正直にいうと、私自身難しい世界でよく分かりません。ただ、ずっと気になっていることがありました。こういった作品は、歴史資料として取り上げられることが多く、「上手くはないが、人柄や徳が滲み出ていて味わい深い」という評がほとんどで、芸術としてあまり見られていないことです。殿様という特異な存在が作成したために作品としてどう評価すべきなのか評価軸が定まっていないからです。統治者は、身分ゆえに求められる芸術的志向と身分ゆえにあらゆる価値観を超越して表現することができる存在という、相反する側面を兼ね備えているからです。

真逆の魅力・側面を持っている作品にどう向き合えばよいのか。まずは、一つ一つの作品に何がどのように記され、描かれているか観察し、記された意味について丁寧に読むことが大切ではないだろうか。その上で、制作者になりきり、いつどんな気持ちで記したのか想像し、この作業を積み重ねていく必要があるのではないかと考えました。まだまだ勉強不足であるし、どのようにすればよいか全く答えも出ていません。もしかすると一生かかっても理解することができないかもしれない。であるならば、皆さんと共有して想像し考えながら進んでいくのもよいのではないかと開き直って展示をすることにしました。皆さまもぜひ色々と想像して楽しんでいただければと思います。

各章ごとにおすすめの作品をご紹介しますので、ぜひ気になった方はぜひご来館して実際の作品を見てください。まずは、難しく考えずに気になる作品を見つけて、「上手だな」、「かわいい」と気軽に楽しんで見ていただければと思います。

 

1章 伝説の和歌と受け継がれる敷島の道

南部家で長く語り継がれてきた南部家12代南部政行が詠んだ伝説の和歌を展示し、政行以来、南部家の人々が和歌とどのように向き合ってきたか紹介しています。

おすすめ作品 南部利謹編「貞享落穂集」

 

貞享~元禄年間に盛岡藩の江戸屋敷などで行われた詩歌会の記録を9 代盛岡藩主南部利雄の子 南部利謹がまとめたものです。4 代盛岡藩主南部重信や行信を中心に、当代の歌人などの詩歌が記されています。歌の心得がないので内容より書かれたレタリングみたいな文字が気になりました。縦線が太く、横線が細く書かれた、いわゆる明朝体です。名前や漢詩はちょっと癖がある明朝体で、和歌は崩し字で書かれています。文字だらけの作品ですが、ずっと見ていられます。

明朝体は、中国の明代に仏典や『論語』などの四書を印刷して出版する際の活字として使われ始めたといわれています。日本でもこれらの用途で使われましたが、楷書や崩し字が主流でしたから、この資料は珍しい字体で記されていることになります。この資料の序文で利謹は、「和歌の道」の頼りを求めて南部家に伝わる和歌を集めたといっています。利謹にとっての「和歌の経典」ともいうべきものだったのではないでしょうか。そのため特別な字体で記されたのかなと考えています。

 

 

2章 暮れゆく年、迎える初春

1年の無事を感謝し、南部家、領内全体の繁栄と安寧を願い、歳末や新春に詠まれた詩歌・書画を紹介しています。

おすすめ作品 南部利済筆「宝珠図」

 

はじめて見た時は、搗きたての大きなお餅と思ってしまいました。存在感が半端ない。刷毛のような幅の広い筆で一気に描かれ、絵のようにも、また書のようにも見えます。どんな状況でそしてどんな思いでこれを描いたのか…

宝珠について調べると、絵師の家では正月に子弟が集まり宝珠を描く習わしがあったということを知りました。もしかしたら、正月のお祝いで集まった南部家の人々や家臣などを前に利済がドデカい宝珠を描いて(パフォーマンス書道的な感じでしょうか)、歳徳神(その年の福徳をつかさどる神様)に捧げ1 年の無事を願ったのではないかと推測しました。

 

この他にもまだまだおおすすめの作品がたくさんありますので、ぜひご来館いただければと思います。次回は、企画展「南部家のたしなみ-詠む・描く・書く-」の3章と4章のおすすめ作品をご紹介します。

 

担当学芸員:小原祐子