第30回企画展「漆戸茂樹没後150年 SHIGEKI -盛岡藩沿岸を測量した男-」開催期間中に、「今週のSHIGEKI的な言葉」と題して、企画展内で紹介しきれなかったSHIGEKIの言葉を毎週ご紹介しました。今回はその総集編をお届けします。国学に通じていたSHIGEKIの著作、特にSHIGEKIの率直な思いが綴られた随筆「わすれぐさ」には、SHIGEKI的な名言が随所に見られます。SHIGEKIの言葉は、相手を思う心に溢れ、書物で学んだ知識だけではなく経験に裏打ちされており、説得力を持って心に残ります。150年以上経た時を生きる私たちの心にも響きます。

 

           

 

今週のSHIGEKI的な言葉1 

かの井中の蛙の月の光を見るか如く 「風葉集」

このことわざには「されど空の深さを知る」という続きがあるとか。狭い世界で突き詰めたからこそ、深い部分まで知ることができたという意味だろうか。茂樹が続けた言葉は、あくまでも謙虚である。

 

 

今週のSHIGEKI的な言葉2

御国は東奥辺土なれとも分際広大なる事世に類なし 「わすれくさ」

盛岡藩の領地は広すぎる。南北の直線距離約260㎞。誰が言ったか知らないが、「三日月の丸くなるまで南部領」とはよく言ったもので、領内を東奔西走した茂樹も思わず叫んだに違いない。どんだけ~。

日本の名山論に始まり、盛岡藩領の名山・風俗、何故か経世論にまで及ぶというミラクルな展開の随筆の一文。茂樹自身もさすがに「はからずもくどくどしく筆が走った」と反省?しているほど。茂樹の小さな事象から世の中広く捉えるものの見方と御国を思う心が感じられる。

 

 

今週のSHIGEKI的な言葉3

辺鄙は辺鄙の風俗にして敢て恥とするにもあらす 「わすれくさ」

盛岡、岩手の人は訛っていることを恥ずかしがる向きがある。訛りは、風土から生み出され、土地の持つ魅力を表しているものである。それを変えようとすると却って魅力・真心を失ってしまうことになる。

昔ほど地域差はないと言われている現代でもまだ「田舎」コンプレックスはあるように思う。江戸時代にも、各藩で「御国風」を「江戸風」に改めたり、逆に江戸に染まるなと「御国風」を守る動きも見られたとか。茂樹は、環境などは変えられないから、それを受け入れ適したことを行えという。むやみにコンプレックスにもってはいけない。

 

           

 

           

 

今週のSHIGEKI的な言葉4

地の際り空に付て天地の界際真丸に見ゆといはんかことし 「わすれくさ」

茂樹は早池峰山山頂より「富士山まで見える」という古い伝承を登って確かめてみた。その景色は山々が連なり波涛のように見え、地平線は空につき真ん丸に見えるようだったと。確かに地球は丸かった。

念願だった早池峰山に登山した。しかし、山々は連なり海上の波のようで、富士山や筑波山はどうやって判別すればよいのだろうかと実証主義的な茂樹は思う。ただ、山頂からの眺めは地球の丸さを実感させた。「風葉集」には、地球儀の図が描かれ、「地球はもと毬のことく」と添えられている。

 

 

今週のSHIGEKI的な言葉 5

まろかとちよりみな人はふるく着なしたる塩たれたる木綿ともなれは 「若葉の幣」

南部利剛の領内巡見は質素に行われた。利剛自ら木綿の服を着、まろ(茂樹)やとち(栃内与兵衛)ら家臣はみな着古してくたくたの木綿の服でお供した。茂樹のワードセンスたるや。

「若葉の幣」は、安政3年(1856)に15代盛岡藩主南部利剛が行った下北半島沿岸への視察での出来事を日記風に記したものである。その中で、茂樹は自身を「まろ(わたし)」と称し、ともに同行していた栃内与兵衛を「とち」と呼んでいた。とち&まろ。そして、みんなが着ていたくたびれ衣服を「塩たれたる」と表現している。特に意味のある文章ではないが、表現が面白い。

 

 

今週のSHIGEKI的な言葉 6

有情非情、人畜草木、其土其所を得て相応の用をなすは天然自然の理 「わすれくさ」

人や動物、草木に至るまで命あるものすべては、生きるにふさわしい場所を得てこそ、ふさわしい働きをする。それはあるがままの自然の道理である。すべては天道様の御さづけ、天命を受け入れ、己の持てる力を発揮せよ。

茂樹が若い頃、山里に住むとても立派な若者を見て、「なぜ山里に暮らしているのか、広い世界を知りたくはないか」と質問した。その若者の「天道様の御さづけ」だからという言葉に非常に感激した茂樹。誰だって若かりし頃は己の進むべき道に迷う。自由に自分自身で生きる道を選ぶことができない時代に生きていた茂樹も思い悩んだ。インテリ茂樹だからこそ到底受け入れられないことだってあったに違いない。天命と思い素直に受け入れることを、茂樹は若者の言葉に学んだ。

 

 

 

              

 

今週のSHIGEKI的な言葉 7

実に戦いしけき世よりも人のこころのみだれん事飢饉に有べし 「わすれくさ」

約260年も続いた太平の世に戦などもはや伝説。木の実、草の根まで食い、それすら尽きて死を待つばかりの飢饉の惨状を目にして、茂樹は戦場を想像した。何より人々が心の平静を失っていることに心を痛めた。

数ヶ月前、新型コロナウィルス感染症拡大の状況について、フランスのマクロン大統領は「我々は戦争状態にある」と表現した。もし、今現在の状況を戦争というならば、根も葉もない情報に惑わされず、冷静に行動することが求められるはず。今の世を茂樹なら何と見るであろうか。

 

 

今週のSHIGEKI的な言葉 8

理をいはんこそ、諸人の愛も有りて世上に障らぬものといふべし 「わすれくさ」

理屈でやり込めてばかりいると誰からも相手にされなくなる。気に入られようと、言葉を飾り、巧みに言っても意味がない。道理を説こうとする時、相手に対して愛敬の心があってはじめて受け入れられる。

問答で父を打ち負かそうと躍起になっていた茂樹に対して父が言った言葉である。天保4年、盛岡藩が大飢饉に陥った時、こんなことがあった。領内の富裕層から救済資金を調達するため、「御救方御用懸」を命じられた茂樹は、三閉伊通へと向かった。混迷に乗じて高利を貪る者らに対して茂樹は、兄が弟に恵みを与えるような藩主の慈悲に従うことこそ人としての道ではないか、そうすることで今目の前の幸せだけでなく、この先の未来の幸せ、自分の子や孫の幸せが得られると説いて廻った。次第に茂樹の言葉に従う者もあらわれ、資金は集まりだしたという。茂樹の言葉は時に難解であるが、真っすぐに人の心を捉える力がある。相手を思う心=愛敬が溢れているからだろう。父の言葉は茂樹の心に深く刻み込まれている。

 

担当学芸員:小原祐子