突然肌寒くなった盛岡ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
急に冷えたためか、私はお腹を壊しています。

多少お腹が痛くとも、月日は無情に過ぎゆくもの。開催中の企画展「あやしきものども」も、本日を含めてあと4日で会期終了となります。そんな本日は、企画展の準備中に見つけた様々なあやしい資料の中から、担当者が興奮した資料や魂が震えたエピソードを少しだけご紹介させていただきます。

 

◆「水虎之図」の制作年代 担当者の興奮度★★☆☆☆
本展でもご紹介しておりますとおり、当館収蔵の河童絵巻「水虎之図」は、制作年代も作者も不明な資料です。正直、ここまでわからないことだらけの資料をお客様のお目にかけて良いのか不安になるほど、何もわかっていません。そこでこの度、「水虎之図の年代を特定…には至らずとも、せめて制作年代の幅を狭めるところまでなんとか頑張ろう」を目標に、必死で資料を読みました。(詳しくは『もりおか歴史文化館収蔵資料図録1「水虎之図」』 https://www.morireki.jp/issue/ をご覧ください)主に着目したのは、資料中の文章です。

↑こんな感じで、全長7m以上の巻物の後半1/3程が文字ばっかりなのですが、実はこの文章部分は正本・副本の2本残された「水虎之図」の巻物のうちで副本にしかありません。副本にしかないことに加えて、前半部分の挿絵があまりにも魅力的であることから、これまでこの文章はあまり注目されてきませんでした。(↓あまりにも魅力的な挿絵の一例)

というわけで、この度は文章部分を一生懸命読んでみましたところ、河童の生態や河童と遭遇した際の対処法などが記されていることはこれまでもわかっていたのですが、それらの情報の出典が文中で丁寧に記録されており、そこからある程度制作年代を推測可能であることがわかりました。参考とされた書籍のうち刊行年が最も新しいのは1802年の『本草綱目啓蒙』、資料中に登場するエピソードに記された年代の中で最も新しいものは「文政三年」(1820)であることから、「水虎之図」は古くとも1820年以降に制作されたものであることが確実となりました。「水虎之図」の旧蔵者である盛岡南部家の所蔵品目録のうち、1948年の目録には「水虎之図」の名が見つけられたため、新しくとも1948年までに制作されていたことも確認できました。今後も目録調査を継続することで、さらに制作年代を狭めていくことが出来るかもしれません。興奮します。

 

◆人魚を食べた漁師の話 担当者の興奮度★★★★☆
本展では八戸市博物館さんからお借りした「人魚の牙」をご覧いただけます。人魚の牙については、展示室で実物をご覧いただくか、『荒俣宏妖怪探偵団ニッポン見聞録 東北編』(荒俣宏、荻野慎諧、峰守ひろかず/学研プラス/2017)をご覧ください。面白いです。ここでご紹介したいのは、人魚の牙と共に展示中の『古今著聞集』所収の人魚のお話しです。

場所は伊勢国ですから現在の三重県です。地元の漁師さんが、3体の巨大な人魚を捕まえました。体は魚で、頭は人間のもの。顔は猿に似ていたようです。そのうちの1体を、捕まえた漁師たちはさばいて食べてみました。「あじはことによかりける」と書いてあるので、大変おいしかったということでしょう。
ただし、「あへてことなし(敢て言うべきこともない、特に何ということもない)」ともあります。味は「ことによかりける」なわけなので、この部分は「食べても八百比丘尼のように不老不死にもなれなかった」「何事もおこらなかった」ということではないでしょうか。この時の三重県産人魚の肉では不老不死の肉体は手に入らなかったわけです。とても興奮します。

 

◆有職故実家・伊勢貞丈による「キツネが妖狐になる方法」 担当者の興奮度★★★★★
最後に個人的に大変好きな資料をご紹介します。有職故実家の伊勢貞丈(安斎)という人物が記した『安斎随筆』所収の「妖狐」の話です。

『安斎随筆』で「妖狐」と立項された文章には、ふつうのキツネが「妖狐」になる方法が記されています。まず、野原で人間の頭蓋骨(しゃれこうべ)を探します。首尾よく見つけたらそれを頭に乗せます。そして、その状態で北斗七星を拝む。これを100回成功させるべし、というものです。頭蓋骨を見つける時点でなかなか高かったハードルが、頭に物を乗せた状態で上空の星を拝めというのですから、「妖狐」への道がいかに険しいものであったかが伺えます。
しかし、本題はここから。伊勢貞丈が本当に言いたかったのはこの後の内容です。ここまでは「妖狐」について真剣に記録しているのかと思わせておいて、貞丈は突然、ここまで書いて来た内容を痛烈に批判しはじめるのです。彼の思いのたけを要約すると以下のような内容になります。

①ここまで書いた内容は中国の本で読みましたが、
 あまりにもくだらない内容だったのでタイトルは忘れました。
②キツネが妖狐になる方法なんて、なぜわかるんですか?
 キツネがそう言ったんですか?
 それとも妖狐になるまでキツネの跡をつけ回したんですか?
③日本の本に書いてあることなら、ちょっとでもおかしいことがあれば批判するのに
 中国の本だからと言って検証も無しに鵜呑みにする人が多すぎる。
 日本の学者はそんなことじゃダメだと思います。
④ほんとに皆さん「隣の甚太味噌」が好きですよね。
 こういうことってすごく多い。
  ※隣の甚太(糂汰)味噌=他人のものはなんでもよく見えることのたとえ

おわかりいただけたでしょうか?「妖狐」と立項してそれなりに長い文章を書いた貞丈ですが、彼自身はこの話を少しも信じていないのです。信じていないことをわざわざ引用して、それをきっかけに「こんなことをよく考えもせず信じて、あまつさえ本に書いてしまうようでは日本の学者はイカン!」ということを言いたいがための文章なわけです。
貞丈が、非常に現代的かつ科学的な思考を持った人であることがわかります。なお、企画展の展示資料の中にはほかにも「私は信じていません」というスタンスを貫いて「あやし」いことを記録した資料が数点あります。
「あやし」い出来事や存在は、信じても良いけれど、信じなくても良い。大切なのは自分の意見を持ってきちんと考えること、そしてその情報を後世に残すなら、自分の価値基準で取捨選択せずにできるだけ多角的な情報を残すこと。江戸時代の学者たちのそういった姿勢を感じ取れる資料です。大変興奮しますし、資料をとおして貞丈の思想や性格に触れられた気がして感動しました。

 

長くなりましたが、今回の「企画展の窓から」はここで終了です。
残り4日となってしまいましたが、幸い明日からは3連休。ご予定のない方はぜひ、もりおか歴史文化館へお越しくださいませ。今日も展示室では、等身大河童が皆様のご来場をお待ちしております。