お盆も終盤。
昔から「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、ここ盛岡では「お盆過ぎたら長袖」が10年ほど前までは当たりまえでした。要するに、8月の下旬には秋の気配がムンムンだったわけですが、近年では盛岡にも「残暑」が進出して参りまして、ずいぶんと暑い時期が長くなりましたね。

そう考えると今年は比較的過ごしやすいお盆かもしれませんが、やはり暑い。
そんな暑い日に外出なんて考えるのも嫌になりますが、行き先が涼しい博物館であればどうでしょう?
日々の冷房で高くなりがちなご自宅の光熱費を押さえる意味でも、地球環境を守る意味でも、暑い日はぜひ歴文館へどうぞ。

そんなオススメのクールシェアスポット・もりおか歴史文化館では、現在企画展「あやしきものども―江戸の奇譚・怪談―」を大好評開催中でございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この素敵すぎるポスターは、7月初旬頃から各所に掲示され初めまして、特に盛岡にお住まいの方は通勤・通学途中にご覧いただいているかもしれません。「歴文館のポスターがヤバイ」と同業者の皆様からも多数のお声をいただいております。

こちらにも堂々と仁王立ちしている生物こそ、今回の主役の1人「河童」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらが、もりおか歴史文化館の誇る河童絵巻「水虎之図(すいこのず)」です。
「水虎」は河童の中国名だと思っていただければだいたいOKです。
その名の通り、数々の「水虎之図」が描かれ、その河童の目撃・捕獲時の様子が克明に記された部分に加え、2点の巻子のうち1本には、数多くの本草学書から引用された河童の生態や撃退法が記された、非常に情報量の多い資料です。
文字だけでは説明しきれないので、ぜひ展示室で実物をご覧ください。

正本・副本2巻から成るこちらの資料は、もとは旧盛岡藩主・南部家の所蔵品で、昭和43(1968)年に当時の南部家当主・南部利英氏から、他の多数の歴史資料とともに盛岡市に寄贈されました。しかし、実ははっきりわかっている資料情報はこれだけで、南部家が入手した経緯やそれ以前の来歴はもちろん、制作年代も作者も不明という、実に謎だらけの資料です。この度、本展開催にあたって少々調査を行いまして、ほんの少しだけわかりかけた部分もありますが、詳しくは『もりおか歴史文化館収蔵資料図録1 水虎之図』にまとめましたので、(展示室内にもあります)そちらをご覧ください。正本副本ともに本紙すべての図版と、文字情報の翻刻文も全文掲載した、あまりにもマニアックな図録となっておりますが、河童マニアの方にはぜひご覧いただきたいと思います。

なお、通信販売も承ります(宣伝)⇒ https://www.morireki.jp/issue/ B5判/40ページ/税込1000円

 

「おや、なんだ河童だけか?」「河童は遠野のものだろう!盛岡じゃないだろう!」と、お考えの方もいらっしゃるでしょう。そうでしょう。
しかし、ご安心ください。本展のテーマはあくまでも「あやしきものども」です。
もちろん河童だけではありませんし、実は妖怪の展示でもありません。

「あやしい」という言葉は、今は「疑わしい」という意味でつかわれることが多いですが、もとは「不思議なこと」「見慣れない様子」「神秘的な様子」を表す言葉です。なので本展では、「不思議な生き物=妖怪・幻獣」だけでなく「不思議な出来事」や「史実として信じがたい出来事」を記した歴史記録や物語をすべて「あやしきものども」としてご紹介しています。

 

ここで資料を丸ごとご紹介してしまうと、展示室に来て下さる方が減ってしまう気がして不安なので、それぞれの資料で語られるエピソードのさわりと、そのエピソードにつけたキャッチフレーズをいくつかご紹介いたします。

その1 夢とお告げとお呪い 「百物怪之事(ひゃくもっけのこと)」
 身辺の出来事から先の事を占うための手引書のような資料。展開部には主に夢のお告げについて、「夢で甘酒をすすめられたら******」、「神々が集まる夢を見れば父か祖父の******」、「新しい餅に毛が生えると7 人**」などが記される。信じるか信じないかは、あなた次第。

その2 大洪水で波乗り 「盛岡藩家老席日誌雑書(もりおかはんかろうせきにっしざっしょ)」「篤焉家訓(とくえんかくん)」
 盛岡は江戸時代から洪水の多い町であった。特に寛文10 年(1670)と享保9 年(1724)の6 月に起きた洪水は「白髭水」と呼ばれる。『篤焉家訓』にはこの「白髭水」の由来が次のように記される。「僧が川原で餅を焼いていると、どこからか老婆が現れて食べつくしてしまう。毎晩のように続いたので、ある日………。」果して「白髭水」の由来とは?「白髭」と老婆の関係は?謎が謎を呼ぶ白髭水由来譚!

その3 源秀院様の墓所に異変あり! 「内史略(ないしりゃく)」「盛岡砂子(もりおかすなご)」ほか
 「むかで姫」という名をご存知だろうか。彼女は2 代盛岡藩主・南部利直の正室で名をお武、戒名を源秀院と言う。死後、遺体にムカデの這跡のような痣が浮き上がった、墓石の隙間から多数のムカデが這出て来た…などの伝承から「むかで姫」と呼ばれるようになったというが、実はこういった内容の江戸時代の記録は現在のところ発見されていない。盛岡藩の地誌『盛岡砂子』や歴史書『内史略』には、少し違った逸話が記録されている。それは……。

その4 UMAだらけの真面目な地理書 「山海経(せんがいきょう)」
 紀元前の中国で著された地理書『山海経』は、1巻冒頭に登場する「鵲山」を中心に、そこから東西南北へ向けて視点を広げ、その土地ごとの特徴的な動植物の生態、その土地を治める神々を紹介する。『山海経』の荒唐無稽であまりにファンタジックな世界観、そして描き出される数々の不思議な動植物、謎の国々、そして妖しい神々の姿は、私たちの目と心を惹き付けて止まない。

その5 八戸藩主の怪しいコレクション 「人魚の牙」「万国通商往来(ばんこくつうしょうおうらい)」ほか
 最後の八戸藩主・南部信順が残した資料のなかに、大量の標本類がある。そこには、生薬・鉱物のほか、人魚の爪や牙・肉、猿の手、象の肉、生の物の体から出てきたらしき石など、なんともあやしいものが数多く含まれる。一見単なる珍品コレクションにも見えるが………?
 藩主の知的好奇心をくすぐったものは一体何だったのか。八戸市博物館から貴重な資料の一部をお借りして、盛岡にて公開中!

 

と、いうような内容の展示でございます。
ひとつでも気になるものがございましたらぜひ足をお運びください。
万が一ひとつも気にならなかった場合は、展示室に行けば気になるものに出会えるかもしれませんので、とりあえずご来館ください。

今日も展示室では、実物大の河童たちがあなたのご来館をお待ちしております。

担当学芸員:福島茜