今回は企画展・第Ⅱ章「徳川将軍家と南部家」の一部をご紹介します。

 

こちらの資料は「南部利直宛徳川家康書状」(慶長4年カ 11月2日)で、南部家から贈られた鷹に対する御礼や、2代藩主 利直の実父 信直の病気を見舞う言葉が記されています。他にも徳川秀忠に河原毛の馬(おそらく南部馬)を贈るなど、江戸幕府が成立する以前から南部家は「贈答」という行為を通し、徳川家と良好な関係を築いていた様子がうかがえます。

 

さて、慶長8年(1603)に江戸幕府が誕生し、幕藩体制が確立していくと、大名たちは領地支配を認めてもらった事に対する感謝の意を示すためにも、さまざまな義務を果たしていく必要が生じ、「贈答」もどんどん義務化したものとなっていきます。

そこには幕府における大名の立場(身分や格式)が大きく影響し、それが原因で宝暦7年(1757)に「南部家献上一件」などと呼ばれる事件が発生します。時は9代盛岡藩主 南部利雄の治世、利雄が江戸から盛岡へと戻り、いつも通り「在着御礼」の品を幕府に献上する使者を派遣したところ、間もなく江戸から火急の知らせがやって来る。一体江戸で何が起こったのか!? 決して譲れない戦い!これは主家の格式、威信をかけた熱き侍たちのドラマである・・・、ということで続きが気になると思ってくださった方は、ぜひ企画展をご覧ください。

 

上に「在着御礼」と書きましたが、これは大名が無事に江戸から国元に戻った事に対する御礼のことで、他にも定例の献上として参勤交代で江戸に登った際の「参府御礼」、「年始」「八朔」「三季(端午・重陽・歳暮)」「時献上」「御機嫌伺」、そして臨時の献上(将軍家の慶事etc.)・・・、多い・・・。企画展準備段階で、あまりの贈り物の多さに史料をそっと閉じたくなりました。これらを滞りなく行っていくことが、当時の武家社会を生き抜いていくための必須スキルとなります。

さて、数ある献上品の中でも「時献上」は、例外もありますが、決まった季節に領知の産物を献上するというものです。江戸時代に民間の本屋によって編集・出版され続けた「武鑑」には、大名家および幕府役人の氏名・石高・俸給・家紋、そして献上品が記されています。天明2年(1782)、10代盛岡藩主 南部利正の代の時献上は、3・4月に馬、書中にかたくり粉、7月以後に初鮭、8月以後に初鶴・初菱喰・白鳥、10月にお茶・鯛(隔年=江戸在府年のみ)、冬中に鮭披・薯蕷・初鱈・若黄鷹、寒中に雉子と記されています。初物が多く、領内で一番最初に採れたものをいちはやく将軍に献上する!という方針のようです。

 

今回、企画展の関連講座として開催したれきぶん講座「贈り贈られて生きるのさ ー南部利敬の贈答人生ー」では、講師の千葉一大先生によると「時献上」は将軍から授かった土地は無事であり、藩の運営が上手くいっている証明になるとのこと。

広大な領地を誇る盛岡藩。その領地自体が将軍からの贈り物であり、その証が「時献上」として将軍に献上されていく・・・。非常に感慨深いものがあります。

 

他にも将軍家、幕府への直接的な献上品ではありませんが、現在にもつながる盛岡藩の特産物を企画展ではご紹介しております。南部鉄器や黄精飴は誰に贈ったの?紫根は薬だったの!?など、担当者が気になった箇所を展示しております。

 

今年のお中元を贈る際は、盛岡南部家の贈答品を見て、参考にしてみてはいかがでしょうか。

 

担当学芸員:小西治子