暦の上では春を迎えましたが、ここ盛岡はまだまだ寒い日が続いております。

大分間が空いてしまいましたが、今回は企画展「もりおか冬事情」から、昭和ごろの防寒に使われた衣服や採暖具をご紹介していきます。

最初は「ミノボッチ」。何やら可愛らしい呼び名ですが、おそらく蓑・帽子(みのぼうし)が訛ったものだと思われます。雪ん子・雪童子がよく被っているものを思い浮かべるとイメージしやすいでしょうか。防寒・防雪用の帽子で、帽子部分より下は水が流れ落ちるように外側を編み放しにし、内側を網目状に編み継いで、あまり湿らないよう工夫されています。

 

そして側面を見ていただくと黒いこよりの様なものが等間隔で下がっています。これは海藻を黒く染めたもので、いわばおしゃれポイント。作った方のこだわりが感じられる一品です。

 

下の画像は藁で作られた雪靴と手袋。冬の寒さを乗り切るために丁寧に編まれた民具は、もはや芸術といっていいほどの美しさです。

他にも路面が凍りやすい盛岡で、滑らないようにしっかりと底に金具が取り付けられた「雪下駄」などの履物。寒風や雪から身を守る「どんぶく」や「角巻」、「ニジュウマント」などの衣服を多数展示しています。厳しい寒さを乗り越えようと挑む人々の姿を感じてください!

 

寒い寒いと先ほどから繰り返していますが、観測以来の盛岡の最低気温は昭和20年(1945)1月26日の零下20.6度、アメダス以前の気象観測のため非公式扱いではありますが、旧玉山村薮川(やぶかわ)は同年同日に零下35度の冷え込みを記録しています。

                                   イラスト:菅森幸一氏

現在の家屋は気密性が高く、エアコンやストーブなど部屋全体を暖める暖房器具も充実し、昔に比べ快適に冬を過ごせるようになりました。しかし、昔は基本的に熱を発する物から暖をとる「採暖(さいだん)」が基本。どんなに寒くても炬燵や火鉢を囲み、重ね着をして乗り越えていました。

手軽に持ち運べる湯たんぽや懐炉(カイロ)も大人気!その変遷の様子が分かるように展示していますので、「あぁ昔使っていたなぁ」と懐かしく感じられる資料もあるかと思います。

中でも時代性が反映されている資料のひとつとして「国策湯丹保」(岩手県立博物館所蔵)をご紹介します。日中戦争から太平洋戦争にかけ、様々な金属が武器生産に必要な金属資源として供出されたため、金属の代わりに陶磁器や木製品などの使用が奨められました。その代用品のひとつとして誕生したのが陶器製の「国策湯丹保」です。

 

昭和時代頃まではどのような知恵と工夫を凝らし、寒さを乗り越えていたのか。ぜひ企画展をみて感じとっていただければ幸いです。

まだまだ寒い日が続くかと思いますが、お風邪など召されぬようご自愛ください。