先週からスタートしました企画展「もりおか冬事情 ~寒さと戦う・冬を楽しむ~」!

北海道は別格として本州の中で最も寒い県庁所在地と評されるここ盛岡市(※観測以来の最低気温は昭和20年1月26日の-20.6℃、ちなみに非公式扱いですが同年同日に薮川では-35℃を記録)、暖かい地域から来られた方は冬の盛岡の寒さに驚く方も多いのでは?かく言う私も盛岡市に引っ越してきた際、水道管凍結という洗礼を何度か受けました。

冬の寒さが厳しいからこそ、より快適に過ごすために工夫された衣服や採暖具、厳寒の時期に行われる年中行事、雪や氷を活かした遊びなど様々な北国ならではの文化が生まれたといえるでしょう。本展では昭和時代までの資料を中心に、寒さを受けいれ、共に歩んできた盛岡の人々の暮らしをご紹介しています。

 

さて、今回の「企画展の窓から」では、昭和中頃における冬支度の様子を見ていきたいと思います。

時代は燃料として薪が主力だった頃。一冬を超える薪を用意しておく必要があり、農村部では「一に食べ物、ニに薪」といって、薪の用意をしていない家は怠け者といわれたといいます。

・撮影地は根田茂(ねだも)、馬橇を用いて山から丸太を運んでいる場面。寒さで川も半分凍り付いています。

 <撮影:戸田秀一さん、昭和51年>

 

学校でも教室を暖めるのに活躍したのは薪ストーブ!子どもたちも一生懸命焚き付け様の杉の葉拾い、薪割り・薪棚作りを手伝っていました。

・展示資料「薪運び」<作者:菅森幸一さん>

 

・校内に積まれた薪の山(薪棚)/岩手大学附属中学校卒業アルバム(1972年)より<同校所蔵>

 

他にも保存食や燃料の準備、家屋や樹木の雪囲い等々・・・。北国の冬仕度はとても忙しく、その準備があるからこそ、訪れる冬に対する覚悟が備わるのかもしれませんね。

 

次回は晩秋から冬の年中行事について見ていきたいと思います(予定)。