はじまったばかりだと思って油断していましたが、さんさ踊りは今日で終わりなのだそうで。
油断も隙もないったらありません。本当に。

本日はそんなさんさ会場からほど近い、内丸のもりおか歴史文化館から、開催中の企画展「ANIMALs×morioka 資料のなかの動物たち」の第2章「ANIMALs今昔(アニマルズこんじゃく)」のリポートをお届けします。

この章でご紹介しているのは「人々と動物の関わり方と時代による変化」です。
皆さんのご自宅には動物がいますか?または通勤・通学の途中で毎朝見かける動物がいたりしますか?そもそも仕事で動物と関わりのある人もいるかもしれませんね。それに加えて、毎日の食卓に並ぶ動物もいれば、今まさに身に付行けている衣類にも動物由来の材料があるかもしれません。

今身の回りを見てみたところ、私のまわりで言うと、年代ものの汚い革のベルト、同じく革の鞄、革のサイフなどの革製品がかなりあります。朝食はパンだったのでハムとバターを食し、牛乳も飲みました。そしてお昼には豚骨ラーメンを食べました。夜もお肉が食べたいと考えています。通勤中には朝のお散歩中のイヌを数頭、気ままに歩くネコ数匹と、数えきれないスズメ、カラス、ハトとすれ違います。
このように考えると、相当な数の動物と関わって暮らしていることがわかります。

では江戸時代の人はどうだったのでしょう?
そこでご覧いただきたいのがこちら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1枚目は、カメにリードを付けて散歩中の少年。
2枚目は、路上で草履を編みながら片手間にカメを売る老人と、それを欲しがる少年たち。

現代ではなかなか見かけないこれらの2つの光景は、どちらも『江戸名所図会』という資料の一部です。この資料は江戸の町や年中行事の様子を紹介する「観光ガイドブック」のようなもの。お祭りなどの非日常は描かれますが、基本的にはその場所の日常を描いています。つまり、カメのお散歩少年も、カメ売りの老人も、江戸の町(この場面は農村)では「日常」の光景なのです。のどかですねー。

 

続いてはこちらを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

象牙を彫って作られたハトの彫刻です。
象牙を中心に、動物の牙を使った彫刻のことを「牙彫(げちょう)」と呼びます。象牙は、1975年以降ワシントン条約によって取引が制限されており、新たに手に入れることは難しい彫刻材料のひとつですが、その美しい乳白色と切削加工のしやすさは人々をひきつけてやみません。

象牙を使った(他の素材のものもありますが)日本の工芸品の代表例として挙げられるものに「根付(ねつけ)」があります。根付は、印籠(薬入れ)や財布に紐を付けて帯に固定するときに使われる、今で言うキーホルダーやストラップのようなもの。この根付がいかにシャレの効いたセンスの良いものか、というところに情熱を注いだのが江戸の人々。変態の所業としか思えない細かな細工を施した根付がたくさん作られました。
そんなわけで、江戸時代には変態的な技術を持つ根付師(ストラップ職人)がたくさんいたわけです。しかしなんということでしょう。時代は流れ、ときは明治時代。人々は着物を脱ぎ捨て、我も我もと洋服に袖を通しはじめたではありませんか。洋服には帯がありません。すると当然根付の需要は低下、根付師たちの仕事は激減してしまいます。
そんな彼らが目を向けたのが彫刻です。卓越した象牙彫刻技術を持ち、小さな根付を作って来た彼らにとって、大きさの制限がない(とはいえ彼らの作品は小さめ)上に機能を求められない彫刻は、さぞ自由なものに感じたでしょう。こうして、明治初頭の日本では根付師出身の彫刻家たちがこれでもかとばかりに繊細な作品を作っていたのです。

大変長くなりましたが、どうやらこのハトの彫刻もそんな作品のうちのひとつ。鳥が嫌いな方には酷かと思われるほどに繊細で緻密な彫りは、ぜひとも展示室でご覧いただきたいものです。

 

最後にあとひとつ、いやふたつ!これだけ紹介させてください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「陸奥国南部領内産物書上」(上)と「御書上産物之内従公辺御不審物幷図」(下)です。
文章だけでは飽き足らず、資料の名前まで長いですね。

盛岡藩が幕府からの要請に応じて提出した盛岡藩の特産品一覧(の写し)と、その一覧を見た幕府の人から「これってなんですか?ちょっとわからないので追加資料を提出してください」と言われたものを、図で説明した資料です。
展開したページには、タヌキにしか見えない「くさい」という動物が描かれています。「くさいってなんだ?新種か?」と思って問い合わせた結果、この絵を見せられた幕府の人は思ったことでしょう。「タヌキじゃん」と。
確かに現代の方言辞典によれば、確かに「くさい」は岩手の方言で「タヌキ」のことだとされています。皆さまも思ったことでしょう。「なんだやっぱりタヌキなんじゃん」と。しかし、上の写真の右ページ真ん中付近をご覧ください。「たぬき」と書いてあるのです。

このことからわかるのは、現代の意味で言えば「くさい=タヌキ」の図式が成立するものの、江戸時代の盛岡藩では「タヌキ」と「くさい」は異なる生き物であると認識されていたということ。そしてその認識は、あくまでも盛岡藩のものであって、江戸では通用しなかったということです。
江戸時代の盛岡藩における動物の認識の一端がうかがえる、とても貴重でおもしろい資料です。

 

開催中の企画展「ANIMALs×morioka 資料のなかの動物たち」ではこんな感じの歴史史料や絵画作品などを101点ご紹介しています。会場でぜひ、じっくりごらんください。

なお、すでに時刻は5時30分を回りましたが、もりおか歴史文化館はこの後もまだまだ午後9時まで開館しています。
なぜなら、今日は盛岡が熱く燃える夜…そう、さんさ踊りの日だからです。
それでは皆さま、良いさんさを!

 

担当学芸員:福島茜