盛岡南部家の歴代当主(盛岡藩主)に関する多種多様な資料から、改めて盛岡の歴史を辿る企画展第2弾。「盛岡南部家の生き方 第2部 揺らぐ盛岡藩に立ち向かう南部家」絶賛開催中です。この企画展で対象とした、江戸時代中頃、5代目から10代目までの盛岡藩主のうち、本日は7代盛岡藩主南部利幹(としもと)についてご紹介します。

 南部利幹の束帯姿です。そろそろ悟りでも開きそうなお顔をしておりますが、この表情の裏にはどのような人生があったのでしょうか。利幹は5代目南部行信の子として元禄2年(1689)に生まれましたが、兄に将来有望な南部実信がおり彼が次の藩主となる予定でした。しかし実信は惜しまれつつ元禄13年(1700)25歳で父行信に先立ち亡くなります。そこでもう一人の兄である南部信恩が6代盛岡藩主となりますが、彼も跡を継ぐ実子のいないまま(実は亡くなった後に男の子が生まれます)30歳の若さで亡くなります。結果おそらく藩主になるつもりもなく生きてきた、20歳の利幹にその重責が回ってきます。当時の盛岡藩は凶作・飢饉をはじめ度重なる災害、幕府に対する様々な負担によって疲弊しきっていた状態です。施政期間中に大きな飢饉はなかったものの、先の元禄大飢饉の影響が強く残っている中で、頻発する地震や岩手山噴火、城下町での大洪水など天災による被害は後を絶ちませんでした。

 

 この江戸時代後期にまとめられた『篤焉家訓』では、享保9年(1724)盛岡城下に大きな被害をもたらした「白鬚水」と呼ばれた大洪水が、後世まで語り継がれ人々の記憶に残り 続けたことが知られます。中津川の三橋(上ノ橋・中ノ橋・下ノ橋)が全て流出し、川下の馬場丁・鷹匠小路・上衆小路が水没。その水深は五尺余(約1m50cm)に達したといい、その地域の人々を救うため新山河岸の舟で救助にあたったと記されています。後世に編纂された歴史書のため真偽不確かな部分もありますが(洪水の時、水上に白髭の老人が立っていたそうです)、当時の盛岡の人々に大きな衝撃を与えた災害であったことがうかがえます。

 

 こちらは南部利幹が江戸幕府から、幕府最大の米蔵「浅草御蔵」の「火之番」を享保5 年(1720)4 月17 日付けで命じられたもの。盛岡藩主南部家のみならず、各地の大名は江戸において様々な「御役目(仕事)」を命じられ、これを恙なく遂行することは絶対でしたが、財政難の大名たちにとっては大きな負担となりました。また江戸幕府による土木工事を委託される「手伝普請」や、参勤交代などの恒常的な支出により、藩財政はみるみる悪化していき、商人はもちろんのこと家臣の武士からも「俸禄(給料)の借上」の形で借金を重ねることになります。そしてついに、享保7年(1722)利幹34歳の頃、江戸屋敷での借金だけで10万両を超えたといわれています。このような状況を打破するため、利幹は有能な人材を適宜重要な役職に抜擢し財政再建に乗り出すのでした。

 

 利幹が登用した家臣の中でも特筆すべき人物が沖弥市右衛門(忠敬)です。こちらで紹介している資料は、沖忠敬が盛岡藩財政に関する現状と問題点を指摘し、盛岡藩が直面している危機を具体的に示した『沖弥市右衛門書上』。そして藩の財政事情とともに各奉行の勤め方、倹約方法について具体的に示した『御倹約大小目録』です。忠敬は、享保8 年(1723)利幹により勘定所元締に抜擢されて以降、財政改革の推進力となり、僅か3 年の間に10 万両にも及ぶ借金の大部分を返済させたといいます。利幹の死後は門閥家老の勢力に押され、享保11 年(1726)江戸追放となってしまいますが、その間、他藩から幾度となく仕官要請があったらしく、彼の有能さが当時全国的にも認知されていたことがうかがえます。しかし忠敬はそれらの要請を断り続け、南部家への忠義を忘れなかったといい、8 代盛岡藩主南部利視が元文4 年(1739)に忠敬を赦免・再仕官を求めた時には、大変喜んだといわれます(結果的には老病のため再仕官叶わず、子の沖忠雄が仕官)。

 有能な家臣の活躍もあり、利幹施政期には頻繁に倹約令が発布されました、この宝永6年(1709)に出された倹約令では、衣食住に関わることから盆踊りや花火に対する規制にいたるまで、藩士に対して事細かに制限を加えています(展示室ではこちらの資料に全文現代語訳も付しておりますので、ご来館された際は是非ご覧ください)。その他、利幹は公務に使用する紙の質を下げ、城内の蝋燭に印をつけて公私混同を避けるなど徹底した倹約を行うことで、一時的にではあるものの藩財政を回復させたといいます。しかしこれらの努力も虚しく、これ以降も頻発する災害により盛岡藩は苦しみ続けることになります。このような状況を盛岡藩主たちは如何に生き抜こうとしたのか。彼らの姿を垣間見ることのできる資料を中心に展示する現在の企画展は7月2日(日)までの開催です。是非ご覧ください。

 

担当学芸員:熊谷博史