めっきり冷え込んで、朝晩の路面状態が不安な今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
「やる!」と宣言しておりました「ジョウセツ展の小窓」②、宣言どおり、ここに公開と相成りました。

この度は、今日からはじまった新しいテーマ展「伝家の宝刀」をご紹介いたします。
当館のテーマ展は、いわゆる「企画展」「特別展」とは違う、常設展示室内の一角に構えたガラス張りの小部屋で行う小さな展示なので、常設展の一部として捉えております。
というわけで、今回の「ジョウセツ展の小窓」は、「常設展示室の小窓から内部に侵入、その後テーマ展示室をガラス越しにのぞき込む」というイメージでお届けしたいと思います。

 

「伝家の宝刀」は、こんな部屋の中で

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こんな感じで展示しています。

展示室の様子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

刀・太刀の類を8点、鑓を1点、拵を5点、その他刀装具や文書資料を合せて24点の資料をご覧いただけます。

昨今の刀剣ブームに乗っかって、世に名高い「○○切」とか「~~号」とかそんな名前の付いた有名な刀を展示したい!
と、思いましたが、当館にはそこまで著名な刀は収蔵されておりません。誠に遺憾であります。

しかしご安心ください。
盛岡藩にゆかりの深い資料が、刀剣の中にも実はございます。これらはおそらく、東京などの大きい博物館ですとか、日本刀の聖地長船なんかに持って行ったら、きっととても目立たない存在です。ところが、盛岡藩の中心地であったここ盛岡にあることで、盛岡の歴史との結びつきが見えてきます。するとどうでしょう、土地や人との結びつきを含めてみたとき、その刀が全国的に有名なものでなくとも、それぞれの家や土地で大切に守られてきたその刀はまぎれもなく「伝家の宝刀」だと思えるのです。

そんなわけで、前置きが長くなりましたが今回は、展示資料の中から、盛岡藩と盛岡藩主南部家にゆかりのある資料をいくつかご紹介したいと思います。

 

まずご紹介しますのがこちら。

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「脇差 銘 新藤国義」(わきざし めい しんどう・くによし)

 

「銘」は茎(なかご)に刻まれた、作者である刀匠のサインのことです。なので、この資料名は「新藤国義のサイン入り脇差」と読むことができます。
サインを残した新藤国義という人は、盛岡藩のお抱え刀匠でした。もともとは筑前(現在の福岡県西部)の出身でしたが、後に江戸にのぼり、そこで4代盛岡藩主・南部重信(一説には3代目の重直とも)に召し抱えられました。盛岡藩に移り住み、数々の刀を生み出しながら弟子を育て、この後盛岡藩で続いていく新藤派とでも呼ぶべき一派の元祖となった人です。

「脇差」は、刀の種類です。時代劇の武士をイメージしていただきますと、左腰に刀を2振差して歩いていますね。あの短い方です。「国義」はその中でも短めで、全長は約60㎝です。
「国義」の特徴は、短いわりに重みがあること。感覚的には打刀を持っているくらいに感じられます。身幅(=刀身の幅)が広く、また正面から見るとわかりにくいのですが、この刀は長さに対して非常に分厚い刀身をもっているためです。この刀身の形の特徴に加えて、鋒(きっさき)もかなり大きく造られていることも相まって、重いだけでなくかなり大胆で豪壮な印象を受けます。

もうひとつ、展示室でご注目いただきたいのは「刀身彫刻」です。表側には「秋水帯霜寒」、裏には「梅に竹の図」が彫り込まれており、形の力強さに反した美しさも併せ持っています。「秋水帯霜寒」は「秋水(しゅうすい)霜寒(そうかん)を帯びる」と読むものと思われ、秋の水(川や池のこと?)が寒さで凍り付き始めそうだ、といった情景を表しているようです。
本来は見えない裏側の彫刻も、今回はこれでもかとばかりに引き伸ばした写真でご覧いただけるのでご注目ください。

 

続きましてのご紹介はこちらの2振。

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上段、短い方が「脇差 銘 奥州盛岡住国永」(わきざし めい おうしゅうもりおかじゅう くになが)、
下段が「脇差 銘 新藤源義正」(わきざし めい しんどう・みなもと・よしまさ)です。

「国永」については、詳しいことは記録に残っていませんが、新藤国義の弟子の1人だったようで、盛岡を拠点にして作刀をしていた人です。
師匠の作と同じく少し幅が広めで厚みのある刀身。鋒は「国義」の「大鋒(おおきっさき)」と比べると控えめな「中鋒」で、やや幅広の刀身とよくバランスが取れています。

「義正」は国義が築いた新藤派の3代目。国義の実の息子である2代目・義国の養子です。同じ脇差でも、ここまでご紹介した2振と比較してぐっと長く、ほっそりした姿です。実際には、この「義正」もなかなかに分厚く、ずっしりした刀なのですが、長さと鋒が小さいことでかなり華奢で優美な印象になっています。

 

最後にご紹介させていただきたいのがこちら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鑓 無銘」です。

・・・写真がアレでぜんぜん見えませんね。
モノはぜひ展示室で見てください。

「最後の最後で無銘かよ」と思われましたか?そう思われる方も当然いらっしゃることでしょう。
しかしこの鑓は、ある意味最も今回のテーマ展タイトル「伝家の宝刀」にぴったり当てはまる資料なのです。
と言いますのも、実は資料名には続きがあるのです。
正式には「鑓 無銘(伝 南部光行所用手鉾)」(でん なんぶ・みつゆきしょようてぼこ)と言います。

ポイントは「南部光行」。ご存知ですか?南部光行。
おそらくですが、残念ながらご存知ない方がほとんどではないかと思われます。

この方、盛岡南部、八戸南部、根城南部などなど様々な呼ばれ方をし、複数に分派している南部家の大元になった人なのです!つまり南部氏の初代様なのです!
南部氏は鎌倉時代の初め、甲斐(現在の山梨県)にあった「南部郷」を拠点とした武士集団から始まっています。
・・・なるほど、「南部」という姓はここからとったわけですね。こんなに北に住んでるのに「南部」はおかしいとうすうす感じてました。
で!このときのトップが、そう!光行なのです!

そんな人の鑓です。すごくないですか?見たくないですか?

写真にもちゃんと写ってないことですし、ぜひとも展示室に足をお運びいただいて、刀そのものの美しさ、かっこよさに合わせて南部家と盛岡の歴史ロマンにも思いを馳せていただければ幸いです。

 

さて、今回も長々お付き合いいただきまして誠にありがとうございました。

テーマ展「伝家の宝刀」は3月20日(月)まで開催中です。
刀の好きな方はもちろん、初心者向けの解説パネルやお持ち帰りいただける解説シートもご用意しておりますので、「刀とか全然見たことない」「意味わかんない」という方もぜひお越しください。

ご来館をお待ちしております。

 

担当学芸員:福島茜